【たのしい世界史】世界史おまけ話 パート2! ~世界の物語編~
こんにちは、丸太です。
歴史好きのみなさまのために、この記事を届けたい!
その一心でこの記事をかいています。(笑)
(ほんとは丸太も世界史大好きなので、自分自身のためでもありますが😅。)
今回は「世界の物語編」ということで、ギリシア神話からあの有名な騎士道物語まで、計4つのお話をご紹介しようとおもいます!
まだ「知られざる歴史的偉人の実態」についてまとめた
パート1の記事を読んでいないという方は、こちらから読んでみてください😊☟
夏の暑さでばてて、勉強へのやる気が出ないというそこのあなたも
この記事を読んで歴史への興味を掻き立てていってください(≧▽≦)
もくじ
ギリシア神話編
古代の物語といえばギリシア神話の右に出るものはないでしょう!
現代にも語り継がれているほどの、面白い話が盛りだくさんでどれから読むべきかわからないと困る方もいるかと思いまして、今回はその中から2つ選んでご紹介したいと思います。
ほかの話も今後記事にすると思いますので、お楽しみに!
その1 ヘラクレス
ヘラクレスの説明
ヘラクレス
ギリシア神話に登場する、半神半人の英雄。ギリシア神話に登場する中で最大最強の存在。
父: ゼウス
母: アルクメーネー(ペルセウスの孫)
妻: メガラー 世界の歴史まっぷより
ヘラクレスの物語をまとめてみました
ヘラクレスはギリシア神話最大の英雄です。ゼウスが人間の女性に一目ぼれし、浮気してできた子供でしたが、この浮気がゼウスの奥さんのヘラ(女神)にばれてヘラは大激怒します。
ゼウスはしばらく自宅であるオリンポス山に帰れず、ヘラクレスもヘラの怒りを受け、妻のメガラとその子供を呪い殺されてしまいます。こころの狭い神ですね(-_-;)
そこでヘラクレスは許しを得るため、ヘラから出された無理難題「10の試練」
(ゴッドハンド)をクリアすることに挑戦します。
「10の試練」のうち2つはヘラが難癖をつけて成功を失敗ということにしてしまったため、実際には試練は12こでした。
これらをすべてクリアしたヘラクレスは、成功報酬として「12の命」をもらうことになりました。
ざっくりとした内容としてはこんな感じです。
浮気をしたゼウスも悪いですが、ヘラもなかなか心が狭いですね😅
このように良くも悪くも人間っぽさがあるというのも、
ギリシア神話の神々の特徴の1つなのですよ。
ヘラクレスが受けた12の試練
- ネメアーの獅子
- レルネーの水蛇
- ケリュネイアの鹿
- エリュマントスの猪
- アウゲイアースの家畜小屋
- ステュムパーリデスの鳥
- クレーテーの牝牛
- ディオメーデースの人喰い馬
- アマゾーンの女王の腰帯
- ゲーリュオーンの牛
- へスぺリデスの黄金の林檎
- 地獄の番犬ケルベロス
より詳しく内容を知りたいという方はこちらのサイトを見てみてください☟
12の試練の内容についても、わかりやすく書かれていますよ!
その2 アキレウス
アキレウスの説明
アキレウス(Ἀχιλλεύς、ラテン語: Achilles)は、ギリシア神話に登場する英雄で、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』の主人公である。ラテン語ではアキレス。
プティーアの出身で、プティーア王ペーレウスと海の女神テティスとの間に生まれた。アイアコスの孫にあたる。スキューロス島の王リュコメーデースの娘デーイダメイアとの間にネオプトレモスをもうけた。トロイア戦争にはミュルミドーン人を率いて50隻の船と共に参加し、たった一人で形勢を逆転させ、敵の名将を尽く討ち取るなど、無双の力を誇ったが、戦争に勝利する前に弱点の踵を射られて命を落とした。足が速く、『イーリアス』では「駿足のアキレウス」と形容される。
Wikipediaより
アキレウスの物語をまとめてみました
ヘラクレスが半神半人だったのに対して、アキレウスは人間です。
しかし、幼児のころに母親に不死の泉に全身を浸らせられたため、不死身の肉体をもっています。私たちからしたらこの時点で神も同然ですね(笑)
不死身の戦士となったアキレウスですが、母親が泉に浸らせた時につかんでいた両足のかかとだけが泉につかりませんでした。
おちゃめですね(>_<)
このため、ここがアキレウスの弱点となり、敵にここを切られてアキレウスは絶命してしまいました。
この神話から、人間が絶対に鍛えられない急所として、アキレス腱の名称が生まれたんですよ。
それにしても、幼児だったアキレウスの両足首をもって泉につけるなんて、母親もなかなかすごい浸し方をしますね😅
西ヨーロッパ中世の物語編
西ヨーロッパは中世の時代に、おおくの騎士道物語が誕生しました。
今回はその中から、フランスとイギリスで生まれた2つの物語をご紹介しますね。
その1 ローランの歌
ローランの歌について
『ローランの歌』は、シャルルマーニュの甥であるローランを称える、約4000行の韻文十音綴から成る叙事詩である。ノルマンディ地方で用いられたアングロ=ノルマン方言の、古フランス語を用いて書かれている。レコンキスタの初期の戦いともいえる、シャルルマーニュ率いるフランク王国とイベリア半島のイスラム帝国の戦い(ロンスヴォーの戦い)を描いた物語である。成立年は諸説があるが、11世紀末ごろとされている。現存する最も古いものは、1170年ごろに書かれたオクスフォード写本である。写本は、オクスフォード本以外にも14世紀ごろのフランコ・プロヴァンサル語のヴェニス本、12世紀前半のドイツ語のコンラッド本など、複数のものが存在している[1]。一定でない長さのスタンザ(節)で書かれ、類韻と呼ばれる、母音だけの押韻でつながれている。この技巧的な表現を、他言語で効果的に再現するのは不可能で、現代の英語訳の翻訳者も、ほぼ一番近いと思える同義語を当てはめている[2]。
もともとは、ローランを支持するブリトン人が歌っていたといわれているが、その後メーヌに、アンジューに、ノルマンディーに広まり、国家規模で歌われるようになって行った。『シャンソン・ド・ジェスト』のように、フランスの偉大なる英雄をたたえる詩としては最初のもので、愛国歌の先駆的存在ともいえる[2]。
Wikipediaより
ローランの歌を簡単にまとめてみた
カール大帝に仕える聖騎士(パラディン)のローランが主人公の物語ですが、
ローランが実在したかは不明となっています。
カール大帝のイベリア半島遠征が舞台で、遠征からの帰還の途中、イスラーム側の罠にはまり、約40万の敵軍に包囲されました。
ちなみに、このときローラン軍は約2万なので大ピンチです(゜-゜)
しかし、ローランはカール大帝への忠誠心から降伏を拒否し、奮闘しました。
最終的に全員討死してしまったのですが、すばらしい忠誠心ですね。('◇')ゞ
また、ローランが使っていた剣がデュランダルです。
デュランダルは伝説の聖剣のうちの1つといわれています。
その2 アーサー王物語
アーサー王について
中世の歴史書やロマンスでは、アーサー王は6世紀初めにローマン・ケルトのブリトン人を率いてサクソン人の侵攻を撃退した人物とされる。一般にアーサー王物語として知られるものはそのほとんどが民間伝承や創作によるものであり、アーサー王が本当に実在したかについては2017年時点でも歴史家が議論を続けている[2]。彼の史実性を証明する記述は『カンブリア年代記(Annales Cambriae)』、『ブリトン人の歴史(Historia Brittonum)』、およびギルダス著『ブリタニアの略奪と征服(De Excidio et Conquestu Britanniae)』に断片的に残されている。また、アーサーという名前は『ア・ゴドディン(Y Gododdin)』などの初期の中世ウェールズ詩にも見られる[3]。
Wikipediaより
アーサー王物語を簡単にまとめてみた
騎士道物語の中でも最も有名な物語ですね!聖剣エクスカリバーをもつアーサー王と
円卓の騎士が主人公です。
アーサー王のモデルは5世紀ごろの、アングロ=サクソン人を撃退し続けたブリテン島
出身の将軍だというのが最も有力な説となっています。
名前はルキウス=アルトリウス=カストゥスです。
この物語の最後は、アーサー王の奥さんと浮気したランスロットとの争いで、円卓の騎士と王国が分裂します。その影響で、反旗を翻した自身の息子と一騎打ちをすることとなり、相打ちにおわります。
死期を悟ったアーサー王は、エクスカリバーを元の持ち主である湖の乙女のもとへ
返し、息をひきとり物語がおわります。
聖剣のエクスカリバーはかっこいいですが、おわりかたを見るとアーサー王がすこし
かわいそうですね😭
円卓の騎士たち
円卓の騎士は12人とされることが多いですが、アーサー王配下のほかの騎士たちも
円卓の騎士と呼ぶため、円卓の騎士として著名な人物をかきますね。😊
- アーサー王
- ランスロット
- ガヴェイン
- パーシヴァル
- ガラハッド
- ケイ
- ベディヴィア
- トリスタン
- ガレス
- ボールス
- ラモラック
- ユーウェイン
- パロミデス
- アグラヴェイン
- ペリノア王
- モルドレッド
これらが主要な人物です!
聞いたことのある名前はありましたか?
おわりに
今回は神話も含め4つの物語をご紹介させて頂きました(^.^)
歴史は知れば知るほど深いものですので、これをきっかけにほかの物語を読んでみたり
勉強してみたりするのもいいとおもいますよ!
ここまで読んでいただきありがとうございました。
丸太のTwitterもよろしくお願いします☟
毎日投稿しているので、読者になっていただけるとうれしいです😊
では、さよなら~(^^)/~
【楽しい世界史】歴史の教科書のあの偉人がじつは... ~パート1~
こんにちは、丸太です。
突然ですがみなさま、歴史はお好きですか?
私は好きです!とんでもなく昔のことが今につながってると考えるとなんだかわくわくします!(^^)!
四字熟語として「温故知新」(古きを重んじることで、新しきを知るといったそのまんまの意味。つまり昔のことも大事だよって意味です。)という言葉ものこっていますので、それだけのことが歴史には詰まっているのです。
しかし、みなさまは学校の教育で歴史をどこまで深く習ったでしょうか?
ヨーロッパで行われた会議の年号?中国の皇帝の名前?
そういうはなしではありませんよ(>_<)
私が言いたいのは教科書に載っている偉人たちがどのような性格で、どのような生活
をし、どのような生涯を送ったのかまで知っていますか?という話です。
こちらから問いかけておいてこういうのもアレですが、そこまで詳しく学んだという人
は少ないとおもいます。
とくに歴史がニガテな方なんかは暗記で手いっぱいになってしまって、
「そんな豆知識なんて知るか(# ゚Д゚)」
という人も多いですよね(;^ω^)
そんな状態の方々のために今回は歴史の裏話について書いていこうと
おもいます!
丸太が個人的におもしろいなと感じた話のなかから2つ選んでみたので
歴史に興味を持つきっかけにしてみてください。<(_ _)>
この記事の読み方
この記事の読み方をさきに書いておこうと思います。
- 人物の紹介
- 教科書にはない裏話
- 丸太のひとこと
基本的にはこの順番で書いていきます。
よみたいところに目次からとぶこともできますよ~
人民主権といえばこの男! ルソー
ルソーの紹介
ルソーは18世紀に活躍したフランスの啓蒙思想家です。
『人間不平等起源論』や『社会契約論』などを著し、人民主権の原則を打ち出した
人物です。
これらの思想はフランス革命に大きな思想的影響をあたえました。
ルソーの裏話: 私生活は最低だった⁉
近代民主主義の概念を世界ではじめてつくったルソーは、『エミール』という著書の
なかで、幼児教育の重要性も説いており、これは現在の大学の教育学でもとりあげられています。
そんな後世に絶大な影響をあたえたルソーですが、人間としては間違いなく最低の人物だといえます。
若いころにパリでおこした犯罪として、強姦未遂、露出狂、知的障碍者を虐待し妊娠
させるなどがあり、当然ですがパリ警察から逮捕状もでていました。
また5人のこどもを1人も認知せず孤児院におくりこんだ事実もあります。
ちなみに当時の孤児院はいまのようによい環境ではないため、無事に成長できるこどもはほとんどいませんでした。
『エミール』のなかで「貧困などどのような理由であれ、親が子を教育しない理由には
ならない!」とのべている人間の行動とはおもえませんね!
おそらくルソーは著作中での主張と現実の行動の乖離から、現在でいう
統合失調症のような病をかかえていたのではないかと推定されています。
丸太のひとこと
革命の世の中で人民主権という魅力的な思想をうちだした人物といえども、あれだけの
犯罪は許されるものではありませんね。おそろしいはなしです☹
天才的音楽家 モーツァルト ♬
モーツァルトの紹介
古典派音楽を確立した人物であり、幼少期から神童ぶりを発揮し、オペラ、交響楽、
協奏曲など幅広い分野で名曲をのこしています。
モーツァルトの裏話: 天才?
モーツァルトは3歳で楽器を弾きこなし、5歳になるころには曲まで完成させたといわれています。また、はじめてオペラをドイツ語で完成させたのもモーツァルトで、幼いころにオーストリアの君主であるマリア=テレジアのまえで少しも緊張せずに完璧に演奏をこなしました。
ちなみに、このころ宮殿の中でころんでしまい、当時おさなかったマリ=アントワネットが手を貸してくれました。モーツァルトはそのお礼に「僕のお嫁さんにしてあげる。」とプロポーズしたというはなしも伝わっています。
しかし、そんな天才モーツァルトですが、裕福な生活とは無縁でした。
当時の音楽家は、パトロンという芸術の保護者がいないと、まともに生活ができませんでした。パトロンになるのは貴族などの上流階級なのですが、モーツァルトはこのようなひとたちに非常に受けが悪かったため,裕福な暮らしはおくれませんでした。
貴族に受けが悪かった理由としては、おそらく幼いころから音楽教育のみをうけていたため、一般社会的な常識が欠けていたためだといわれています。
その結果、モーツァルトは「フィガロの結婚」など作品だけは有名になっていくものの、生活は向上せず35歳の若さで亡くなってしまいました。
また、葬儀費用もなかったため、遺体は共同墓地に投げ込まれてしまい、
どれがモーツァルトの骨かわからなくなってしまいました。
丸太のひとこと
圧倒的音楽の天才であるモーツァルトですが、才能だけでは生き残れませんでした。
この事実を見て、一般的な教養の重要性がよくわかりますね(;^ω^)
おわりに
歴史にすこしふれてどのように感じましたか?
偉人がのこした偉大な功績は知っていても、逆にそのこと以外はよく知らないと思います。
今回のせたお話は、まだまだほんの一部です。
またいつか残りの話も載せていこうとおもいますが、興味を持った方は
自分で調べてみるのもおもしろいとおもいますよ(≧▽≦)
この記事がよかったらぜひ私のTwitterもよろしくおねがいします☟
ここまで読んでくださりありがとうございました!
では、さよなら~(^^)/~~~